「防災から何を学ぶか」(東日本大震災から11年)

防災教育

今年も無事にこの日を迎え、まもなく終わろうとしています。

今日は教頭らしく仕事しました。

まず半旗掲揚。一度上まで上げてから少し下ろす。半分まで下げるのではなく、頭を垂れているくらいの高さだそうです。校長先生に教わりました。

つぎに校内放送。午後2時46分に合わせて放送を入れ、「黙祷」1分後「黙祷終わり」と合図を出します。放送原稿は国から送られてきました。

そして卒業式の準備。中学校は今日ですが、小学校は23日なのです。国旗と校旗を水平にするために校長先生と知恵を絞ってがんばりました。

 

11年前、今の6年生達は1歳でした。お母さんは地震や放射能から我が子を守ろうと必死になったと思います。そうしてここまで大きくなったと思うと、11年という時間の長さを感じます。

我が子も含めて、震災を直接知らない子供達が生まれています。私は自分の罪悪感と被災地責任を感じて、防災教育や放射線教育に取り組んできました。

被災しなくても、被曝しなくても、実感できる、想像できる、どうしたらいいか考えられる、何をすればいいか行動できる、そういう子供たちを育てていかなくてはいけません。

 

「降伏すればいい」なんて安易に言わないでほしい。あなたはそれを福島の人に言えるのか?原発で戦った人たちに言うのか?

「遠い国のこと」なんて無関心なふりをしないでほしい。日本には北方領土問題があるじゃないか。次は日本かもしれないのだ。

津波から逃げるのも、放射能から逃げるのも、戦火から逃げるのも、勇気がいるものだ。どうか挫けないでほしいと願う。

私たちはどうして防災を学ぶのか?防災を通して何を学ぶのか?

1つは、防災を通して命と向き合い、自分の生き方、在り方を考えるため(セルフマネジメント)に学んでいる。

もう1つは、他者と話し合い(コミュニケーション)、調和して生きていく術(スキル)を身に付けるために学んでいる。

学校の勉強はいつ役に立つのか分からないと揶揄される。防災も同じだと思う。ただ直接防災を学ぶことが大切なだけでなく、そこを通して身に付けさせたい力があるのだと、私は考えています。

 

さて、好き勝手できる管理職として、また学校に戻ろうと思います。行ってきます。