研究授業といえば指導案。指導案といえば盛り込みすぎ。そして本番で時間オーバー。
研究授業ではありがちな失敗です。子供たちにしてみれば多くの先生方が見に来られていて文句も言えないわけで、できれば指導案の段階で何とかしたいものです。
えび先生がパソコン画面とにらめっこしてうなっています。そこへ通りかかったかに先生。
・・・うーむ。5分足りない・・・。
指導案とにらめっこして、どうしました?
こんどの研究授業にむけて指導案つくっているんですけど、5分足りないんですよ。
どれどれ?あー、盛り込んでますね。
これは研究授業あるあるですね。
いやでも、そもそも授業が50分だからですよ。60分だったらいいのに!
なかなかすごいところに噛みついてきますね。
でも授業は50分だからいいんですよ。
学校の授業は45分・50分という根拠はどこにあるのか?
小学校の授業は45分、中学校の授業は50分。ほとんどの学校がこのようにしていると思います。
教員をしていると、当たり前すぎてそこに疑問をもつこと自体がないかもしれません。
しかし、ここにはきちんと法的な根拠があります。
学校教育法施行規則の第24条、別表第1(第24条の2関係)にこのように書かれています。
第24条の2 小学校の各学年における各教科、道徳、特別活動及び総合的な学習の時間のそれぞれの授業時数並びに各学年におけるこれらの総授業時数は、別表第1に定める授業時数を標準とする。
備考1 この表の授業時数の1単位時間は、45分とする。
2 特別活動の授業時数は、小学校学習指導要領で定める学級活動(学校給食に係るものを除く。)に充てるものとする
3 第24条第2項の場合において、道徳のほかに宗教を加えるときは、宗教の授業時数をもつてこの表の道徳の授業時数の一部に代えることができる。(別表第2及び別表第3の2の場合においても同様とする。)
※ 中学校については同様の規定(1単位時間は50分)があり、盲・聾(ろう)・養護学校の小学部・中学部についても小・中学校に準じる旨の規定がある。
高等学校及び盲・聾(ろう)・養護学校の高等部については、単位制をとっているため教科ごとの授業時数及び総授業時数の標準は定められていないが、学習指導要領において、全日制の課程(単位制課程を除く)に関しては、週当たりの授業時数として30単位時間を標準としている(単位については、1単位時間を50分とし、35単位時間の授業を1単位として計算することを標準としている)。
学校教育法施行規則
というわけで、小学校・中学校の授業は45分や50分を単位として行うことになっています。
他の意見を探しても、子供の集中力とかトイレを我慢できる時間とか、いろいろな話が根拠として聞いたことがあります。実際の現場ではそういう事情もありますね。
わたし、大学の講義が90分っていうのがしんどかったですね。
実験や実習だともっと長くやってたように思います。
そもそも大学では、授業じゃなくて講義っていうものね。
大学の90分については法律には書いてないみたいですよ。
授業時間が決まっているから、子供は集中力や緊張感が保てる。
授業時間が45分や50分と決められていると、子供たちには何がよいのでしょうか。
生徒にとっては、50分と時間が決められているからこそ、そこまで頑張ろうと見通しがもてます。
子供たちの発達段階からいって、集中力がもつのが50分というのも理由としてよく言われますね。
小学生15分、中学生30分、高校生45分というのも聞いたことがあります。
小学校1年生の担任の先生は、短い時間で授業を区切りながら、子供たちが集中していられる時間を少しずつ伸ばしていきます。
最近の大学生は動画の飛ばし見に慣れてしまって、90分も集中力がもたないというのも話題になりました。(大学生ばかりでもないと思いますが)
スポーツでいうと、野球の試合時間は最短2時間~最長4時間とわからないことが多いです。サッカーだと前後半45分にハーフタイムとアディショナルタイムを合わせておよそ2時間と読めます。スポーツ観戦のスケジュールの立てやすさでいえば、サッカーは見やすい。
野球は時間じゃない。イニングだ。
1回1回、集中してグラウンドに出ていくんだ。
それはそうですが、時間や回数という決まりがあるからこそ、集中力や緊張感がキープできます。
授業時間が制限されるからこそ、工夫や研究が生まれる。
授業時間が45分・50分と制限されていると、先生にとってはなにがいいのでしょうか。
どれだけやってもいいですよ、と言われてしまったら、どれだけやっても終われません。勉強に終わりはないのですから、授業にも終わりはありません。
先生にとっては、時間制限があるからこそ、その時間の中で何とかしようと工夫が生まれてきます。
なにをやって、なにをやらないか。なにを話して、なにを話さないか。取捨選択を迫られることで、効率的、合理的な授業が作られます。
そして授業というものを科学として研究することができるようになってきます。
教育は教育学という科学です。授業という実験を通して、実証性・再現性・客観性を高めていきます。
「時間」という基本的な要素が定まっていないと、もう科学とは言い難くなってしまいます。
理科の先生みたいなことをいいますね。
いちおう理科の先生なのでね、こういうことも理科的に考えがちなのですよ。
先生と生徒が授業50分で勝負・共演する。
このように、生徒にとっても先生にとっても、授業が50分であることには大事な意味があるのです。
生徒にとっては緊張感と集中力。先生にとっては研究と工夫。
授業は先生だけが頑張るものではありません。子供たちも頑張ります。それは先生と生徒の勝負であり、共演でもあるわけです。
指導案の時点で5分オーバーするというのなら、どこか5分を削る判断をします。
そうすることで、授業の山場が明確になり、子供たちの集中力も高まりやすくなります。
あれもこれも欲張らないことです。指導案づくり、がんばってください。