「いち被災者の思い」(東日本大震災から9年目)

自分自身について
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東日本大震災から9年が経ちました。

東北地方太平洋沖地震、東日本大震災から9年が経ちました。

わたしは被災者です。9年目の今、思っていることを書き残しておきます。

いつか、あの日の記録を公開できる日が来るだろうかと思っています。もう少し、かかります。

 

9年が経ちました。あれから9年です。

わたしの周りは本当に、ありとあらゆるものが変わりました。

住んでいる場所が変わりました。新しい仲間がたくさんできました。

着ているユニフォームも変わったし、乗っているクルマも変わりました。

夫婦となり、子供が生まれ、毎日、子育てと仕事の両立に悪戦苦闘しています。

 

しかし、変わらないものもあります。

ぽっかりと胸にあいた、暗い闇のような穴です。

いつまでもいつまでも、黒いエネルギーがジワジワと染み出します。

今日は特にそうです。職場では平気な顔をしていながら、本当は一人になりたかった。

 

午後2時46分に黙祷を捧げました。(本当はもうちょっと後に地震が伝わってきたんだけどな。)

もちろん、そんなことを言っても意味はありません。我慢して、みんなと一緒に黙祷しました。

目は閉じません。

 

いま、この瞬間だって、わたしは前に進みたい。

足を止めたくない。

ジタバタとダンスを踊り続けたい。

行き先はわからないけれど、ジッとしていたくない。

あれから9年。変わったことを書いておきます。

「放射線教育」ができるようになりました

自分なりに実践を積み上げて、それなりの放射線教育ができるようになりました。

例えば、霧箱の実験。9年前には知識として知っているだけで、自分ではやったことがなかった実験ですが、今では普通にできるようになりました。

それに合わせて、放射線についての講座を開けるくらいのパワーポイント資料や原稿が蓄積されています。中学生でも放射線とはどのようなものか理解できるように、教科書よりは分かりやすく話せると思っています。

これを「ウィンターレクチャー」という名前で、冬休み前の特別授業として実施することもできました。(ネーミングは、ファラデーのクリスマスレクチャーから来ています。)

それだけにとどまらず、原子力発電所の是非について討論をする授業や、放射線を扱うメリット・デメリットを話し合う授業が作れるようになりました。

原子力発電所の事故のあと、避難生活をしながら作り始めたスライドを、ここまで育てることができたことは、自分の中では大きいことです。

「語り部」として震災体験を話せるようになりました

被災した経験を語り継いでいく「語り部」という方たちがいます。

自分もそういった方々と同じように、自分の震災体験を語れるようになりました。

地震直後、避難中、避難生活と場面を分けて話すことができます。スライドも作りました。

避難生活中は生き延びるのに必死で、記録は取り続けたのですが、写真がほとんどないのが残念なところです。

あと、感極まって泣いてしまうことがあるのも、語り部としてはどうかと思うこともありました。

そのようなわけで、語り部としてはもう求められないと、話さないことにしています。

「防災教育」のファシリテーターになりました

避難したときに、3日間ほど避難所で生活をしました。

その時ちょっとしたきっかけで、ボランティアスタッフリーダーになりました。

その後、あの避難所での自分の行動は正しかったのか、自問自答するようになりました。

たった3日間ではありましたが、自分の人生がそれまでとは全く違う自分になる経験でした。

さまざまな縁ときっかけがあって、背中を押してもらったり、手を引いてもらったりしました。

そして、あの経験から逃げずに、きちんと振り返り、学びへと昇華することができました。

これを人に教えるためには専門のファシリテーターとして資格を取る必要がありました。

マイナスのエネルギーをプラスに変えて

避難所運営の最大のミッションは「命」と「人権」を守ることだと学びました。

しかし、それは避難所だけではありません。

原発事故の後、さまざまな悲しいことがありました。

 

福島県外に避難した生徒が「放射線がうつる」と言われていじめられました。

もう農業が続けられないと思って、自ら命を断ってしまった農家の方がいました。

避難生活に疲れ果て、家族に迷惑をかけられないと書き遺したおばあちゃんがいました。

 

福島県から来たというだけで、こんな扱いを受けてしまう日本とは何なんだ!?

あの巨大地震、津波から逃げ延びたのに、生き延びたのに、どうして自死を選んでしまうんだ!?

どうしたら、この国で「命」と「人権」を守ることができるんだ!?

怒りのような、悲しみのような、悔しさのような、そんな思いがエネルギーになっています。

マイナスのエネルギーをプラスに変えて、行動への原動力にしていきます。

 

自分に何ができるでしょうか?

わたしは政治家ではないし、活動家でもありません。

自分は教師として実践を積み上げるしかありません。教育者として力をつけるしかないのです。

そして、国民の科学リテラシーを高め、みんなが「命」と「人権」を守るための正しい判断、正しい行動ができるようにしたい。

それが自分にできること、できそうなことです。

あと一歩だけ前に、進もう

歩んだ先にあるものはまだ見えていません。

あの原発の廃炉にさえ30年もかかるというのに、たった9年ではまだゴールは見えないのです。

それでも、暗闇のさきに少しずつ影が見え始めてきたとも感じます。

 

行き着く先は・・・。

行き着く先は、放射性廃棄物の最終処分場の選定について、国民的関心ごと、議論の対象になっていること。

中学生が、父親に「お父さんは最終処分ってどうしたらいいと思う?」と問いかけているイメージ。

テレビで最終処分場について、さまざまな立場の人が科学的根拠や社会的影響を考えながら、意見を出し合っているイメージ。

極論すれば、放射線教育の最終目標は、最終処分場を決めることだと考えています。

 

行き着く先は・・・。

行き着く先は、これから起きるいくつもの巨大災害に対して、国を挙げて備えをすること。

備災、減災、防災の考え方をもちたい。物や箱も大事。ルールやマニュアルも大事。しかし、それらを活かすための考え方も大事になる。

日本各地の人びとが、一人ひとり主体となって、自分の地域の課題を解決していくこと。そして災害に備え、いつでも命と人権の大切さを忘れず、未来に希望をつなぐこと。

極論すれば、防災教育の最終目標は、日本人一人ひとりが自立して「命」と「人権」を守ることだと思います。

 

自分にできることで、一歩ずつ前へ。

辛くても足を止めない。

あと一歩だけ、前に進もう。

 

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