初任研担当として、初任者の先生方の報告書にコメントを書いています。
指導の先生とのやり取りや、教室での実践を通して、皆さんが日々たくさんの学びを積み重ねている様子に、励まされる思いです。
この記事では、報告書には書ききれないような視点から、わたし自身の経験も交えてメッセージをお届けしています。
少し立ち止まって考えたいとき、ふとヒントが欲しくなったときに、気軽に読んでいただけたらうれしいです。
「生徒指導と学級経営」へのコメント
ムチよりもアメ…、最後はどんな巨大なアメを求めてくるのでしょうか。
最も素晴らしいのは、アメもムチもなしに、子供たちが「学級が楽しい。」と言ってくれることだと思います。例えばそういうクラスには「ありがとう」が飛び交っています。
最後は「先生がいなくても僕たち大丈夫です。」というクラスにすることです。それが自立です。「先生がいなくても大丈夫だけど、いるとさらに楽しい。」と言ってもらえたら、私は幸せです。
三学期に向けてクラスの学級目標を具現化し、子供達がどうなりたいと思っているか、どんなクラスにしたいと思っているか、よく話し合ってみてください。先生はクラスのいちばんの応援団です。
コメントの意義
「ムチよりもアメ…、最後はどんな巨大なアメを求めてくるのでしょうか。」
この表現は少し強く響くかもしれません。しかし、ここには単なる比喩以上の教育観が込められています。
「アメとムチ」の指導では、子どもは依存してしまう
アメ(ご褒美)とムチ(罰)は、短期的には効果があります。
しかし長期的には、どんどん“刺激”を強めないと行動が維持できなくなります。
最初は小さなアメで喜ぶ
↓
次第にもっと大きなアメを求めてしまう
↓
アメがもらえないと不満が生まれる
これは、行動が“外的報酬”に支配されている証拠です。
教師としては、その状態に陥ることが危険だと感じています。アメもムチも、どちらも最終的には 「先生に従うための行動」 を生み出すからです。
最も理想的なのは、「アメもムチも必要ない学級」
私がコメントで書いたように、教師として本当に目指したい姿は、
「子どもたち自身が、ただ学級を楽しいと感じられること」
です。
そういう学級には特徴があります。
- 「ありがとう」が自然に飛び交う
- 役割分担がスムーズに流れる
- 誰かが遅れれば周囲が自然に支える
- 先生が介入する必要が減っていく
つまり、大人の「目」ではなく、仲間とのつながりや安心感が行動の原動力になっています。
こうした状態は、一度つくられると崩れにくく、子どもたち自身の手で維持されるという強さがあります。
最終目標は「先生がいなくても大丈夫な学級」
今回のコメントの中で、私はこう書きました。
「先生がいなくても僕たち大丈夫です。」
これは、教師を否定する言葉ではなく、子どもたちが自立した学級経営の最高形を表しています。
そのうえで、
「でも、先生がいるともっと楽しい。」
と言ってもらえる関係こそ、教師としてのゴールだと感じています。
これは、子どもたちが教師を「管理者」としてではなく、応援者・伴走者として自然に受け入れている状態です。
もちろん、いきなりそんな学級にはなりません。先生が教え導き、支え誘い、手を放し、見守るのです。その過程でこんなことを言ったこともありました。
「先生がここにいるのは、みんなに介護を学んでほしいからだよ。」
爆笑ですね。
3学期こそ、学級の「本気」を形にする時期
「三学期に向けて学級目標を具現化し、子ども達がどうなりたいか話し合ってみてください。」
三学期は年度の締めくくりであり、子どもたちが自分たちの成長を「自分の言葉」で語れる時期です。
- どんなクラスになりたいのか
- どんな姿で一年を終えたいのか
- 自分たちはどんな仲間でありたいのか
こうした問いを通して、学級づくりは「教師がつくるもの」から「子どもたち自身がつくるもの」へ変わっていきます。
アメやムチは、教師にとって便利な道具です。しかし、その道具に頼り続けていては、子どもたちの本当の自立にはつながりません。
教師がいなくても機能し、教師がいるとさらによくなる学級。そして教師は、最後にこう言える存在でありたいのです。
「先生は、みんなのいちばんの応援団です。」



