この世界から”いじめ”をなくすことはできるのでしょうか。
そんなに簡単になくなるものではないです。なくせるのだったら、今頃なくなっているでしょう。
わたしは”いじめ”をなくすように努力し続けることが何よりも大切だと思っています。
そして、”いじめ”という”言葉”をなくしてはならないと思っています。
言葉としての”いじめ”があるからこそ、これはいじめなのではないかと考えることができるのです。
言葉狩りは思考停止、現実無視につながります。
言葉としての”いじめ”は残しつつ、”いじめ”そのものはなくさなくてはいけないと思うのです。
いじめ防止対策推進法ができて10年が経ちました。
平成25年6月に「いじめ防止対策推進法」が出されて10年が経ちました。
各学校でなんども見直され、公開してきました。みなさんの学校にもあります。確かめてください。
もしも見直しがされていないのだとしたら、必ず今回の教育課程編成会議で議論しましょう。
文部科学省の定義する”いじめ”とは。
”いじめ”とはなにか。文部科学省は事あるごとに見直して、定義し直してきました。
【昭和61年度からの定義】
この調査において、「いじめ」とは、「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」とする。
【平成6年度からの定義】
この調査において、「いじめ」とは、「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」とする。なお、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うこと。
「学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの」が削除されました。
「いじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うこと」が追加されました。
【平成18年度からの定義】
本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。 (※)なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
「一方的に」「継続的に」「深刻な」といった文言が削除されました。
「いじめられた児童生徒の立場に立って」「一定の人間関係のある者」「攻撃」等について、注釈が追加されました。
【平成25年度からの定義】
いじめ防止対策推進法の施行に伴い、平成25年度から以下のとおり定義されました。
「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
「いじめ」の中には、犯罪行為として取り扱われるべきと認められ、早期に警察に相談することが重要なものや、児童生徒の生命、身体又は財産に重大な被害が生じるような、直ちに警察に通報することが必要なものが含まれる。
これらについては、教育的な配慮や被害者の意向への配慮のうえで、早期に警察に相談・通報の上、警察と連携した対応を取ることが必要である。
第三者が大切。誰かが”いじめ”と言ったら”いじめ”を疑う。
文部科学省の定義はこのように変化しています。それに合わせて、そこに該当する事例はないかと調査が行われています。
よく読むと読むとわかりますが、平成25年には「攻撃」という言葉がなくなって、受けた本人が苦痛に感じたら、それはいじめということになりました。

これだと「告白してフラれて傷ついた」という話まで、いじめになってしまうって聞いたことがあります。
いじめられた子供を優先して考えることは大切だと思いますが、個々の話を聞いていくと、いじめとはなんなのか、その線引の難しさを感じます。
わたしは子供たちに、次のように話しています。
【誰かがいじめと言ったらいじめ】

だれかが「それはいじめだ。」と言ったら、それは「いじめ」です。
いじめている人が「いじめている」とは言わない。いじめられている人は「いじめられている」とは言わない。どちらも自分がしていること、されていることは認めたくないのです。
だから周りで見ている人が「あれ?」と感じて声をだすことが大切なのです。ただじゃれ合っているだけなのか、喧嘩なのか、いじめなのか。ただ冗談で言っているだけなのか、悪口なのか、いじめなのか。
見ているだけでもいじめです。見て見ぬふりをしているのもいじめです。いじめが起きたら、自分には関係ないとは言えないんです。
だったらそれに気づいたときに「それはいじめになるんじゃないか?」と声を上げることが大切です。
いじめって何か、少しずつ変わっています。だからこそ、目の前で起きていることは「いじめ」なのかちがうのか、みんなに考えてもらって、声を出してもらって、いじめがいじめになるまえに止めてほしいと思います。よろしくお願いします。
こんなことを4月の早い段階で話します。クラスにいじめが起きる前に話しておくのです。
子供たちはしばらくのあいだ、冗談交じりに「それはいじめだろ~」と言っているかもしれません。それでいいのです。そうやって、いじめの抑止力をクラスの中で作っていくことが大切です。
いじめ行為を根絶することが大切なのであって、いじめという言葉そのものを刈り取ってはいけないのです。
そういったなかで、さらに担任が心をオープンにして、目を研ぎ澄ませて、アンテナを立てて、子供たちを見守ります。
いじめとは何か、先生方と話し合ってみて
いじめ問題は本当に難しい。SNSが普及するに連れて、ますます解決が難しくなっています。その線引も難しい。
考えを深めるためにも、共通理解をはかるためにも、先生方お一人お一人が、いじめとは何か?を考えて、職員室や学年会で話題にしてほしいと思っています。

かに先生、今度の学年会で私の考えを話しますから、聞いてくださいね。