「メタ認知」とは「目玉焼き」である。

教育用語

教師修業として、教育用語に出会ったら調べてまとめていこうと思います。

かに先生
かに先生

メタ認知という言葉はよく聞きますね。

えび先生
えび先生

教師としては、分かったような分からないような、でも分からないと言うのはちょっとカッコ悪いかなと思う言葉です。

私が自分なりに調べて、自分なりに理解したことをまとめてみます。これもメタ認知ですね。

最後は、「メタ認知」とは「目玉焼き」であるという結論に至りました。

 

「メタ認知」がどこから生まれたか。

「メタ認知」は、アメリカの心理学者ジョン・H・フラベルが定義した心理学の用語です。

「メタ認知」とは、「認知していることを認知する」ことです。

認知という言葉を2回使っているので、回りくどくて面倒ですね。

別の言い方をすると、自分が認知していることを客観的に把握して、コントロールしているということです。 

「メタ認知」は「無知の知」である

メタ認知を理解したときに、思い出したのは「無知の知」です。

「無知の知」を唱えたソクラテスは紀元前のギリシアの哲学者です。

ソクラテスはこう言いました。

彼ら学者達は知らないものは何もないと言っているが、私は自分が何も分かっていないということを知っている。その点で、私は彼らよりも賢いと言える。

ソクラテス

これが「無知の知」です。

ソクラテスは「自分が知っていること以上のことは知らないんだ、ということを知っている。」と言っています。

ここまでは分かっているけど、その先のことは分かっていない。その境界線を自覚しているわけです。

 

「メタ認知」は「目玉焼き」である。

「メタ認知」は「ここからここまでは分かっている。でもその先は分かっていない。」という境目を自覚していることです。

これをビジュアルで例えてみると、「目玉焼き」になります。

つまり、自分が分かっているのは白身の部分。その外側は分かっていないということです。
その境目のところを認識できることが「メタ認知ができている」ということです。

このモデルでいいなと思うのは、メタ認知の範囲を白身の部分にしたことです。

黄身の部分があるというのは、自分自身のより内面で分かっていない領域を認知していることを示しています。

えび先生
えび先生

内面がわからない、というのなら、ドーナツだっていいのではないですか?

かに先生
かに先生

いや、ドーナツだと空洞になってしまうでしょ。自分の中心、コアになるところはあるはずでしょ。判断軸や価値観といったものだよ。

メタ認知は外側に広まるものというだけでなく、内側にも迫っていくということです。本当の自分自身のことって分かっていないですよね。

「ジョハリの窓」でいうところの、「自分は気づいていないが他人は知っている自分」、「自分も他人も気がついていない自分」のところです。

 

「メタ認知」とは「目玉焼き」である。

あくまで自分の理解ですが、自分としては案外いい説明だと思います。どうでしょうか。