こんばんは、katooです。
かつて教育実習生を引き受けて、学級担任の仕事などを話したことがありました。
毎日放課後になると、教育実習生が「実習日誌」をもってくるので、わたしも手書きでコメントを返していました。
そのときの下書きがパソコンに残っていたので、公開したいと思います。
これから教育実習に向かう大学生、教育実習生の指導に行う先生の参考になれば幸いです。
11日目、教育実習生へのコメント
不登校問題の原因は多種多様で、生徒によって全く違います。
しかし、我々は社会と調和して生きるために、他者との交流を断つことはできません。
勇気をくじかれた子供たちにアプローチして勇気づけ、自立を促さなくてはいけません。
生徒が選択肢の一つとして、家庭にいることを選ぶならば、家庭は安全であり、世界もまた安全であることを学ぶ必要があります。
そのため学校外の関係機関とも連携する発想が教師には必要です。
家庭、カウンセラー、ソーシャルワーカー、病院、NPOなどどれだけの支援を探し出し、動けるか、教師のチーム力を拡大することが求められます。
コメントの解説・意図
不登校の問題は、非常に難しいです。
家庭や学校、本人、保護者、教師…、原因がどこにあるのか分からず、そこを解決しようとするととても時間がかかります。
しかも、原因が見つかったとしても、それをどうしたら解決となるのか。そこもまたとてつもない時間を要します。
不登校問題は、時間との戦いかもしれません。長い消耗戦のなかで、みんなが疲弊します。
そこで、原因を探すことはいったん止めます。そうではなくて、目的に着目していきます。
つまり、不登校になった原因ではなく、不登校になった目的に注目するのです。
ここで詳しいことを書き始めると終われないのですが、これはアドラー心理学の目的論のことを言っています。
その子が不登校になった目的は何か?そこを考えることで、見えてくるものがあります。
わたし達人間が、社会とのつながりを断ち切って生きていくことができない以上、少なくとも、「家に引きこもる」という「方法」は、間違っていると言えます。
不登校になった「目的」を模索しながら、その不登校という「方法」を変えていくようにします。
もちろん「不登校はまちがっているよ」などと言ったところで意味はありません。むしろ「不登校という方法を取ったんだね」という受容のほうが大事です。
「人生においては間違ってもいいのだ。」ということを学ぶことは、生きていくうえで、とてつもない勇気づけになるからです。
そして、間違っても大丈夫である証明として、安全な家庭(最小社会)が安全であることを学ぶことが大切になるからです。
家族が「不登校」を受容することもまた勇気のいることですが、そこに教師としてのアプローチがあります。
教師ができる勇気づけは、家庭と、学校や関係機関を結びつけることです。
教育委員会、スクールカウンセラー(SC)、スクールソーシャルワーカー(SSW)、病院(小児科、心療内科など)、民生委員、NPO、支援センター、特別支援センターなど。そして、それらが行う各種事業、イベントなど。
そういったものに連絡をして、連携して、ネットワークを構築するのです。人と人とを結びつなげていくことで、沈みゆく子供をすくい上げるネット(網)をつくるのです。
そうすることで、家の外にも安全な場所を用意する。その子が玄関から出た世界が安全だと気づけるように、教師が未来に向かってできることは、網づくりなのです。
それもまた相当な労力です。しかし過去に向かって掘り進める「原因探し」と未来に向かって編み続ける「網づくり」では、同じ時間とエネルギーを費やして見えてくるものには大きな違いがあるはずです。