平成28年度の卒業文集の原稿です。毎年のようにネタに苦しみます。
そのうちネタ切れになるんだろうなぁと怯えながら、何とかひねり出しています。
受け持ち学年でないと、生徒たちとの共通体験が少ないので、さらにネタに困ります。
今回は、自分のかつての経験をもとに書くようにしました。
卒業文集原稿「Dancer in the Glare」
「Dancer in the Glare」
高校吹奏楽部では毎年夏に定期演奏会があった。
トランペットだった私も、大舞台でときどきソロ演奏をした。
ステージの真ん中に出てきて、トランペットを構える。
スポットライトがバッと当てられる。
みんなの演奏をバックに、自分だけの楽譜を吹く。
想像してもらうと、ものすごく緊張するけれど、ものすごく興奮する場面だと思う。
でも気が付いたことがあった。
眩しすぎるライトが当てられると、実は周りが見えなくなるのだ。
周りには大勢の人がいるはずだし、みんなの演奏も聞こえるのに、周りが全然気にならない。
強烈な光の下で、自分は一人、自分の演奏に無我夢中になっていた。
理科の先生になろうと思ったきっかけは、「光」の不思議さだった。
「真っ暗だから見えない」というのは分かる。でもどうして「明るくて見えない」のか。
考えても分からない。高校物理では説明できない。
実は生物学の知識も必要だと気付いたのは大学に入ってからだった。
大学に入ると分からないことだらけだと気付かされた。
ガスクロという実験装置から離れられず何日も研究室の床で寝る生活に嫌気がさした日もあれば、相対性理論を理解できて舞い上がった日もあった。
がむしゃらにもがいた日々だった。
たまの休日には映画を観ながら寝落ちしていた。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画に出会ったのも、大学4年の夏だったと思う。
光と闇はいつも私のテーマだった。
今の自分に強烈なスポットライトを当てよ。
周りなんて気にしないで、自分の人生に光を当てよ。
自分の思い込みにすぎない過去なんてどうでもいい。
トラウマなんて存在しない。
自分の勝手な妄想にすぎない未来なんてどうでもいい。
占いなんて当てにならない。
ただ立ち止まっていては行けない。
歩き出すのが怖いなら、走り出すのが辛いなら、踊ればいい。
いま、ここで、全力のダンスを踊ればいい。
どこに行くかなんて気にしない。目的地なんて決めない。
今の一歩に全力を尽くし、次の一歩に集中する。
私はこの年になってアドラー心理学に出会った。
スティーブ・ジョブズの卒業式スピーチを聞いたのは数年前だ。
あなた方は私より若い。
今をがむしゃらに生きればそれでいい。
後先考えず、なりふり構わず、いま、ここを、全力で踊れ。
まぶしすぎる光の中で踊れ。
卒業おめでとう。みなさんが光とともにあることをご祈念申し上げます。
(野球部のみんな、楽しい野球をありがとう。)
文集「Dancer in the Glare」を書くにあたって
書かれているとおりなのですが、わたしがアドラー心理学に出会った年でした。
アドラー心理学に出会ったのは、自分のクラスの不登校生徒のためになにかできないかと、必死にあがいていた時でした。
不登校の生徒に会えない。生徒に関われない。生徒を変えられない。
どうしたらいいだ!?
そうか、相手を変えようとしないで、自分を変えればいいのか。
そんな風に考えて、読まず嫌いだった「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を繰り返し読み、アドラー心理学を学級経営にいかす本を探しては読んでいました。
そのなかで、感銘を受けたことの一つが「人生はダンスである」ということです。
人生にはマラソンや船旅のように「ゴール」がないということは、自分探し=人生の目的探しになっていた私にとって、目からウロコでした。
そのダンスという言葉から、映画「Dancer in the Dark」を思い出し、高校時代を思い出したのでした。そこまでいったら、何とか文章にまとめることができました。めでたし、めでたし。