【先生から】卒業文集原稿「くすみのない真球」を書きました【平成14年度】

 学級担任として

自分が教員になったときから、卒業文集のメッセージは子供たちへの最後のメッセージだと思っています。そして、それは紙になって一生残るかもしれないものです。

それなりに気合を入れて書きました。他の先生がどんなことを書いているのか気になりますね。

これはおよそ20年前、平成14年度の文集です。あのころはまだ若かったな~。

りかこさん
りかこさん

へぇー、先生が若い頃に書いた文集ですか?

よくこんなの取ってありますね!

かに先生
かに先生

そのときそのとき、心を込めて書いているんだから、

こんなのって言わないでくれ。

   

【卒業文集】「くすみのない真球」

「くすみのない真球」

写真を始めてから4年がたった。

写真から学んだことを一つ挙げれば、それは多面的なものの見方だろう。

アマチュアの僕が一枚のポートレートに満足するには、最低でも二百枚は撮らなくてはならない。

だから本来多面的な一人の人を、全て表現するなんてことは不可能ではないか。写真は「真実を写す」と書くけれど、しかし1枚の写真はその人のもつある一面でしかないのではないか。

そんなことを感じているうちに、それは人だけでなく、全ての物事に対して言えることで、何事も多面的に捉え、一方的な判断を下してはいけないことを学んだ。

  

人を宝石の原石で例えれば、人生とはその原石を磨いていくことだと思う。それは自分で自分を磨いていくことであり、人との関わりの中で磨かれるものである。

続けていけばその人の一面が顕れ、やがて輝きを増していく。時にはナイフのように人を傷つけてしまうけれど、それでも様々な面を磨きあげていけば、いくつかの平面がいつか曲面になるだろう。

理想は誰も傷つけることのない、くすみのない真球。それはいまだ人類が作りあげることのできないオーパーツだ。しかし私たちはそこに向けて歩き続けなくてはいけない。

それまではそれぞれの面を自分の個性とし、傷をつけてしまったらさらに磨いて自分の深みにしていこう。

  

僕がいつも自分に言い聞かせていること ――

何かを得るためには何かを失わなくてはいけない。
言葉ではなく行動で示す。
他人の時間を奪ってはいけない。
やらないよりはやって後悔する。
物事の優先順位を間違わない。
別れの時はいつかまた会えると信じる。

別れを言うのはカラオケで歌うより苦手なのでここに書きます。

「卒業おめでとう。いつかまた会えると信じて、君たちが歩いていく未来に、光が満ちていることを祈っています。」

  

今も昔も、言っていること、言いたいことは、そんなに大きく変わってないですね。

りかこさん
りかこさん

つまり成長してないっていうことですね

(毒舌)

かに先生
かに先生

芯がぶれていない、と言いなさい

(リフレーミング大事)