採用試験を受ける講師の先生に、何かアドバイスできることはないかなとHDDを漁っていたら、自分が採用試験の対策で書いた小論文が出てきました。
ただファイルが壊れていて開けませんでした。何とか復旧できたので、バックアップの意味で記事にしておきます。もしかしたら、誰かの参考になるかもと思いましたが、講師時代の自分が書いた論文が参考になるとも思えません。
時代が違いますからね。思い出のバックアップです。
論文5 最終論文です。あなたは「よい教師」としてどのような教師になりたいですか。あなたの目指す教師像を述べなさい。
この最終論文の前にはヒントが出されていました。大事なことなので、これも転記しておきます。
○ 教師は子ども好きでなければならない。(子ども理解の上にこそ教育愛が芽生える。)
○ 教師は公平でなければならない。(えこひいきは子どもを損ねる。)
○ 教師は創造性豊かでなければならない。(教育のひとつの値打ちは明日への期待である。)
○ 教師は社会性が要請される。
○ 教師は研究的でなければならない。
私は「教師になりたい」という以上に「教師として生きたい」という願いを持っている。言い換えると「子ども達のために生きたい」と言える。また私にとって,よりよく生きるとは,よりよい教師になることである。私が目指す,子どものために生きる「よい教師」像について,以下に述べる。
「よい教師」とは子どもと生きる教師である。それは目の前にいる子ども達を理解し,支え,導ける教師である。この3点について以下に述べる。
第一に,子ども達を理解する教師である。学級担任の経験から,子ども達は様々な過去を背負い,様々な家庭の中で生きていることを実感した。どのような事情にある子どもでも,それが辛く苦しい事情であればなおさら,他の子ども達と同じように大切に接する。そのような,子ども一人一人の背景も含めて,その存在を認め,共感的に深く理解するように努める。例えば,生徒同士のケンカで双方の話を聞き,公正な判断をするなど,一人一人を大事にしてきた。
第二に,子ども達を支えるとは,子どもに関わる全ての人々と協力し,組織的な力で子ども達の成長を支えることである。そのために,校長,教頭をはじめとする学校の教職員と一人一人の生徒について,常に話し合い理解を深めるとともに,その指導において協力や連携を図るようにする。また,家庭や地域へと積極的に関わり,働きかけるようにする。例えば,学級担任として学級通信を発行したり学級懇談会を開いたりして,保護者と情報を共有したり,学校とPTAの行事や地域の祭礼などに参加して,子ども達が生活している地域環境について理解してきた。
第三に,子ども達を導くためには,教師としての専門性が求められる。専門性の一つは,教科指導に関する知識と技能である。子ども達のために教材研究を繰り返し続けることが重要であると考える。それは,教育が科学として進歩するためであり,目の前にいる子ども達のためになるからである。
昨年度,教職員研究物に取り組んだ際,自分の研究によって生徒の学力が向上しただけでなく,自分が開発した教材に生徒達が嬉々として取り組んでくれたことは大きな喜びであった。生徒達から多くのことを学んだが,これからも生徒達のために教材研究を深めていきたい。
また,生徒の発達や心理を理解するために,心理療法やカウンセリング,生徒指導などの実践的な技術・知識についても,研究して身に付ける姿勢が大切であると考える。その裏づけに立って,学校での生徒指導,生活指導にあたるようにしたい。
このように,私は「よい教師」を生徒と生きる教師と認識している。そしてそのために,学校現場での実践を通して,あるいは各分野の研究成果から学ぶ必要があると考える。それによって目の前にいる生徒のための生徒理解や具体的な支援,実践的な指導などの力を磨いていきたい。子どものより良い成長のために自ら成長し続ける教師になりたいと,私は改めて決意を固めている。
採用試験に向けた指導は、中学時代に教頭だった先生にお願いしました。快く引き受けてくださり、小論文のお題まで出してくださいました。ほんとうに感謝しきれません。
その小論文を考える時間には、自分の教師としてありたい姿を再認識させる、言語化させる狙いがあったのだと思います。
当時お世話になった先生方のことを今でも思い出します。自分の教員としての原点はすべてあそこにあったと思っています。
地に足をつけて、生徒とともに生きる教師になりたいと思いました。そしていつか、若い先生を育てられるベテラン教師になりたいと思いました。憧れだったのです。
いま、自分がそういう年になってきていると思うと、まだまだだなと感じます。やはり学び続けなければ、人の前に立つことはできません。これからも努力していこうと思います。(20260830)


