【教育実習生へ】13日目の所見と解説

教育実習

こんばんは、katooです。

かつて教育実習生を引き受けて、学級担任の仕事などを話したことがありました。

毎日放課後になると、教育実習生が「実習日誌」をもってくるので、わたしも手書きでコメントを返していました。

そのときの下書きがパソコンに残っていたので、公開したいと思います。

これから教育実習に向かう大学生、教育実習生の指導に行う先生の参考になれば幸いです。

  

13日目、教育実習生へのコメント

道徳では「そのとき、何を大事にしたの?」と、生徒の外部(経験)から表層(感想)に入り内面(価値)に迫ることが大切です。

体験しないと真の学びはないかもしれませんが、少しでも生徒の経験に関連付けるために、道徳の教科書や映像資料、話し合い、ロールプレイなどの技法があります。

しかし、教師の願いや思いやそこに至る苦しみ、葛藤が根底になければ、真に生徒に迫ることがないのも確かです。

コメントの解説・意図

道徳が教科化されて、しばらく経ちました。それに伴って道徳の授業の研究も変わってきているように思います。

道徳では「価値」に気付かせることが大切ですが、そこに単純に切り込んでも伝わりません。

「正義は大事ですね。」「それが友情ですね。」と言ったところで、なんにも響かないでしょう。

 

そこでどうするかが、教師としての腕の見せ所であり、教材研究の面白いところです。

その「価値」が伝わっていくイメージが「外部」→「表層」→「内面」です。

単純に「外部」→「内面」とは入っていきません。子ども一人ひとりのフィルターが違うからです。

ここからは私の勝手な見解です。

子どものフィルターは、生活経験や学習経験(一次体験)、読書やゲームなどのメディア体験(二次体験)、SNSやオンラインゲームなどのソーシャル体験(三次体験)によって形成されます。

同じ一次体験でも、そこから得るものは一人ひとりが違うのは当然です。家が違う、生育歴が違うのだから当然でしょう。

どんな本を読むか、どれくらい本を読むかも、一人ひとり違います。どんどん多様性ができます。

今だと三次体験によってますます広がりが出ています。三次体験があるかないか、たとえば日常的にSNSを使っている子どもと使っていない子では、同じ教材でも感じることが変わってきます。

 

だからこそ、同じ経験(教材)から何を感じたか、自分の感想や自分の判断などによって自分を客観視することが大切だと思います。

客観視できるからこそ、今までの自分と今からの自分の差、自分と友達のちがいに価値を発見しやすくなるのです。

何を学ぶか、何を吸収するか、何を選択するか、教師に決定権はありません。提案・提示はできても、強制する権利はないでしょう。

そこに道徳の授業の難しさがあります。教師があらかじめ教材研究の中で、あーでもないこーでもないと様々な価値を見つけ出し、自分だったらと悩みと考えることが大切です。

さらに、子どもが逆の立場だったら、子どもが関係のないことと思っていたら、あの子だったら、この子だったらどう思うか。そんな風にシミュレーションして自分の幅を広げておくことで、キャパシティーを大きくします。

教師のキャパシティーが大きければ、子どもの反応を受け止めることができます。受容です。キャッチ(受容)ができてこそ、相手の胸(心)にボール(新たな価値)を投げ返すことができるのだと思います。

これまでも何度か書いてきました。教師の生き方が、授業と児童生徒に大きく影響を与えるのです。

厳しいことを言っていますか。いや、楽しんでほしいのです。教師という生き方を。

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